当時中学生だった私はある日、天声人語に目を通していた。天声人語を読むように、何度も何度も学校や塾から、親から言われたことを覚えている。まじめに勉強に取り組むタイプではなかったけど、ごくたまに、気が向いたときに天声人語を読んでいた。読んだ内容は全然記憶にないのだけど、一つだけ、覚えている内容がある。でもこれが、何のテーマで、筆者が何を書いていたのかは覚えていないのだが、スパゲティのレシピが書かれた天声人語だった。
すごく簡単なレシピで、材料も家にそろっているものだった。当時から私は料理をすることが好きで、料理本、レシピ本を読んでいろいろなものを作って食べてみたい。と思っていた。
でも母はなかなか台所に立たせてはくれなかった。夕飯の支度の時間は私がいたらもちろん邪魔になるし、上手に作れないと思っていたのだろう。実際、たまに見様見真似で作っても失敗することが多かったし、ある日ご飯を炊いたら、炊飯器を使っているのに芯だらけのごはんが炊き上がってしまい結局それを、母は煮込んでおかゆ状態にして家族全員で食べたこともある。
だがこのレシピは当時の私が作ってもおそらく失敗しないと思ったし、どうしても作ってみたくて、台所が空いているすきを狙って作ってみたのだ。レシピ通りに作れたと思う。
それは、初めて食べる味だった。すごくおいしいか、と聞かれたら、正直言って、すごくおいしい。とは言えない味である。でもこれこそいわゆる「クセになる味」かもしれない。
このスパゲティを誰かにふるまったこともないし、レシピを伝えて誰かに試しに作ってもらって食べた感想を聞いたこともない。だから、ほかの人が食べてみてどう思うのか、それすらもわからないレシピである。これだけ世の中に、さまざまな形で誰でもがレシピを披露できる時代になったけど同じレシピは見当たらない。
それを考えると、口に合う人は少ないのかなぁ。と不安にもなるのだが、今でもときどき無性に、食べたくなるスパゲティのレシピ。もし興味があったら一度試してほしい。
〈材料〉
スパゲティ
サラダ油
黒こしょう
粉チーズ
塩(パスタを茹でる用)
そして「酢」
以上
〈作り方〉
スパゲティを茹でる
スパゲティを湯切りしたら「鍋に戻す」
サラダ油、酢、こしょう、粉チーズの順番で入れて素早く鍋の中であえる
以上
これを見たみなさんも同じように感じると思うが、材料にある「酢」に当時の私は驚いた。酢をスパゲティに!?「酢」は、安い日本のお酢で構わない。試したことはないがバルサミコ酢は甘みがあるので合わない気がする。ぜひ、日本のお酢で試していただきたい。
「湯切りしたスパゲティを鍋に戻す」というのもポイントである。鍋もスパゲティもアツアツのまま、鍋の中で最後の調味をするのだ。
酢は、いつも目分量で入れているのだが大さじ2くらいは入れていると思う。ちょっと多いように感じるかもしれないが、これが、アツアツの余熱の中であえるので、いくぶんか酸味が飛んでくれる。そのため、酸っぱいと感じたり、酢でむせる。ということは今までない。程よい酸味になってくれる。
塩気を感じるスパゲティに、うまい具合に乳化されたオイルがよくなじむ。先の作り方のとおり、湯切りしたアツアツのパスタを、アツアツの鍋に戻してあえるので、スパゲティに残った水分と立ち上る湯気が、オイルとうまい具合に乳化されているのだ。
そこへ、黒こしょうの風味と刺激、ごはんが酢飯になるとするする食べてしまうように、酸味が飛んだ酢の入ったスパゲティもまた、するするといけてしまう。そこへ、粉チーズのうまみ。これが、すんごくおいしい!というわけではないのだが、夢中で食べすすめてしまうスパゲティなのである。
これを初めて食べたのが、おそらく30年近く前。当時まだ、スパゲティといえば、ナポリタン、ミートソース、たらこ、ちょっとおしゃれになると、魚介類のトマトソース、イカスミ、くらいが主流で、オリーブオイルすらあまり家庭には普及していなかった時代である。はじめて食べたこの味は私にとって忘れられない味となり、今でもときどき、食べたくなる味なのだ。
そこから時は経ち、店の場所など覚えていないのだが、あるイタリア料理店で食事をしたとき、カッチョエペペ。と、これまた、初めて目にするパスタメニューに出会った。チーズと黒こしょうのパスタ。と説明が添え書きされていた。私はそのとき、この、天声人語のスパゲティを思い出した。筆者は、きっと、このパスタを作りたかったんだ。と、何年も経ってから結びついた現実にうれしくなったのを覚えている。
ちなみにカッチョエペペとは、イタリア語で cacio e pepe 直訳すると、チーズと胡椒という意味。カッチョエペペよりも、カーチョエペーペと表記した方がイタリア語の読み方に近い。その名の通り、チーズ(実際はペコリーノロマーノを使うらしい)と黒こしょうのパスタでローマ伝統のパスタとのこと。最近日本でも見かけるようになったが、まだまだ知られていないパスタだと思う。
また、ここ数年、レモンクリームのパスタやレモンを使ったパスタメニューも増えてきたように感じる。パスタにレモン!?と最初は驚いたがその時もまた、この天声人語のスパゲティを思い出した。このレシピにある「酢」である。酢とレモンは違うけど、広い意味ではどちらも酸味。レモンを使う方がさわやかさは増すが、酢と同じく、レモンもまた、するするといけてしまうパスタでこの天声人語のパスタを思い出させる味である。
天声人語の筆者は、イタリアのパスタに精通していて、カーチョエペーペと、レモンを使ったパスタを合わせようと思ったの?当時まだ、イタリアの材料はもちろん、レシピさえも簡単に知ることができなかった時代に、筆者はどうやってこれを知ったのだろう?と、今でもこの天声人語のレシピ発祥には謎が残るが、きっと、オリーブオイルがなかったからサラダ油で代用、ペコリーノロマーノが手に入らなかったから粉チーズで代用、レモンが高価だったから酢で代用したのかな、と毎度、空想をふくらませながら作り、食べて、楽しんでいる。
この天声人語のスパゲティは日本のスパゲティのレシピ(おそらく)なので、スーパーなどで売っているお手頃なスパゲティで構わないし、むしろその方が筆者の意図に即しているかもしれない。
しかしながら、パスタは(スパゲティ)はこちらをぜひ、おススメしたい。
今回もこのパスタで作り、私が普段から愛食しているパスタの一つである。パスタ自体がとってもおいしくて、スーパーなどで手に入るお手頃価格のパスタとは全然違う。麺そのものが全然違う。
日本食で例えると、そばやラーメン、うどんなど、麺そのものの味によって、おいしさが左右されるのと同じように、パスタもまた、麺によってできあがりの味が左右されるのである。スーパーなどで売っているパスタより高いが、おうちパスタがもっとおいしくなること間違いなしなのでぜひ試してみていただきたい。
ちなみのこの、ディマルティーノ社のヴェルミチェッリという種類のパスタが本当におススメ。かなりの太麺(2.1㎜)でどんなパスタソースにもよく合う。
ディマルティーノ社のリガトーニとペンネも本当においしい。冷めても美味しい。ほかのパスタ(スパゲティやリングイネなど)は他社のイタリア産パスタも食べるのだが、リガトーニとペンネはいつもディマルティーノ社のをいただいている。